部屋の隅で映画と本

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『文字禍・牛人』──ハッとしてゾッとする、エンターテイメント性の高い一冊

 

『文字禍・牛人』は、中島敦による6篇を収録した短編集だ。表題の「文字禍」「牛人」のほかに、「狐憑」「木乃伊」「虎狩」「斗南先生」が収録されている。

関係ないが、ここ一年くらい某バレー漫画にハマっている。基本的にずっとバレーをしているだけなのに個人の感情の動きや人間関係がとても魅力的で、しばらく沼を抜けられそうにない。

二次創作も読んでいる。あるとき3年生が自意識の高い1年生に山月記をおすすめするという二次創作漫画に出会った。描いた方の中島敦への愛と、キャラクターへの愛が伝わってきて好きだった。

その作品でそういえば中島敦ってちゃんと読んだことないなと思い至って文字禍・牛人を手に取った。高校生のときに教科書で読んだくらいだ。

山月記ではなく文字禍・牛人を選んだのはなんとなくだったが、先にこちらを読むことにしたのは正解だった。

結局どちらも読んだ上での印象として、エンターテイメント性が文字禍・牛人のほうが高くてスッと世界観に入っていきやすい。

李陵・山月記に収録されている短編は、注釈を参照しないと分からない単語が多くてとっつきづらさがある。読みはじめたらすごく面白いけど。

文字禍・牛人に収録されている短編は李陵・山月記に比べると注釈が多くないし、参照しなくても物語の流れが分からなくなることはほぼない。ストーリー的にもスリリングであったり共感したりと入り込める話が多いので、初めて中島敦を読む人におすすめできる。


どの短編も中島敦の目のつけどころと、目をつけた部分からの個性的な話の広げかたに驚く。本書の中では特に「文字禍」と「斗南先生」と「虎狩」が好きだ。

その中でも表題にもなっている、文字禍が一番印象深かった。古代アッシリアの博士が、文字の霊が人間に及ぼす災いについて研究する話で、いわゆるゲシュタルト崩壊を題材にしている。

ゲシュタルト崩壊とは、同じ文字をじっと見ているとその文字が解体して意味のない線と線の交錯に見えてくる現象のことだ。 多分誰しもが経験したことがあるだろう。

中島敦がそのゲシュタルト崩壊を経験してこれは不思議だなあと思ったところから物語を作ったと思うとなんだか親近感が湧くし、その現象をアッシリヤという国も時代も遠く離れた舞台設定に落しこむ博識さに感嘆する。中島敦の時間旅行。


斗南先生は中島敦と関わりが多かった伯父に対する分析的なエッセイだ。身近な身内なのに対象から距離を取り、観察対象としているような文章なのが面白い。中島敦が大学生のときに書いた伯父を分析する文章と、さらにその10年後に自分が書いた伯父の分析への感想を綴る二重構造になっている。

大学生のときの若さゆえの(?)斜に構えた感じの文章が好きだったのだが、10年後の方で「若気の至りであんなこと書いてしまった」みたいな調子だったのが、大人になっちまったんだなアツシ…って感じで謎の寂しさがあった。(笑)

虎狩はなんとなく山月記とのつながりを感じられる短編だ。虎というモチーフは(このエピソードが実体験なら)この体験から獲得したのかなと思いを馳せられて楽しかった。

おわりに

付録の解説で紹介されていた、円城塔の「文字渦」が読んでみたい。「文字禍」のオマージュ作品だという。本って読めば読むほど新たに読みたいものが出てくるな。読みたい本リストが全然消化されずに増えるいっぽう。