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映画『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』感想

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『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』を観てきた。いやー、映像の美しさが抜群。安定のA24クオリティだ。A24ってだけで一定の品質が保証されている感がある。まずオープニングのショットが目をひいて、これからどんな物語が始まるのかと引きこまれる。
しかも美しいだけではなくて、挑戦的でもある。序盤のほうにあった、周りの人は静止画のように止まっているなか、主人公ジェイミーと親友モントがスケボに乗ってスローモーションで坂をくだっていくシーンとかおもしろかった。

あらすじ
サンフランシスコで生まれ育ったジェイミーは、幼いころに急激な土地の値上がりによって、祖父が建てた一軒家から追い出されてしまった。 しかし家を愛しすぎるあまり、別の人が住人になってからも勝手に手入れするなど、諦めきれないでいた。ある日、住人が退去したことを知り、忍びこんで住み始める。ジェイミーと家の関係はどこへ向かうのか。


いろいろな見方ができる作品で、なかなか「これ」というテーマひとつふたつにまとめるのが難しい。あらすじを書いていても、ただ表面上のストーリーラインを追っているだけで中身をとらえられていないような気がする。ただ、社会の不条理さはテーマとして確実にある。

現実の背景として、舞台であるサンフランシスコはもともとマイノリティが住みやすい街だった。しかし、90年代にベンチャーIT企業がたくさん流入してきたことによって地価が高騰して、黒人を含む多くの社会的マイノリティの人たちが土地代を払えずに追い出されてしまった歴史がある。サンフランシスコ市からしたら治安が向上するだとか税収が増えるだとか良いことがあるのだろうけど、追い出される側からしたらただ理不尽に住む場所を失うだけだ。
再開発によって、低所得層が住む場所に中間所得層や富裕層が流入することをジェントリフィケーションというらしい

ジェイミーも、ジェントリフィケーションの逆風を受けた一人だ。彼は家を取り戻すことに全力を注いでいて、他のことには目もくれない。しかも、お金を稼いで買うという正攻法で挑戦するのではなく(しないというより、おかれている環境的にかなりむずかしいというほうが正しい)、勝手に手入れをして、勝手に住みつく。正直、彼の行動にあまり共感はできない。しかし、きっと奪われたという意識があるからこそ執着して離れられないのだろうと理解はできて切なくなる。

印象的だったのは、黒人の友人であるコフィが殺されてしまったのちに、ジミーが親友モントにつぶやいた「俺がコフィだったかもしれない。家がなかったら俺がああなっていたかも」という言葉。
家は、たいていの人にとってプライベートな空間であり安心できる場所だ。くつろげる家がなくて、昼も夜も仲間とつるんでいたコフィは、つねに他人の視線にさらされていて、どう見られるかを意識しなければいけない。ジミーの友人であり親しく話す仲なのに、つるんでいる仲間の前で会うと挑発したり罵声を浴びせたりする。属している集団のなかで名誉を保つために、強気でいなければならないのだろう。コミュニティの大部分を占めているグループの中で尊厳がなくなることは、精神的な死につながる問題だ。しかし同時に、他グループの人を挑発したことがコフィの肉体的な死につながってしまった。
加えて、コフィは過去に殺人をおかしたという冤罪で服役していたことがある。アメリカで現実にある、黒人は何もしていない・白人だったら捕まらないようなことで簡単に逮捕されてしまう問題が想起される。コフィが安心できる家を持てないのも、冤罪で逮捕されてしまったのも自己責任の範疇を完全に超えていて、社会システムの根深い問題を映し出している。

かつて家を所持していたジェイミーにとって、幼少期を過ごしたその家は心の拠りどころであり、ノスタルジーを感じる場所であり、アイデンティティと密接に関わっていた。
だが、終盤に家にまつわるあることを暴かれたことによって、家への執着からなかばむりやり解放されることになる。ノスタルジックに装飾された過去と決別して、これから一歩踏み出すラストとも捉えることができる。しかしなぜそうしなければいけないかと考えてみると、ジェントリフィケーションによって否応なしに追い出されたからだ。一概にめでたしめでたしでは終われず、観客の心に意図的にわだかまりを残すラストである。本作の終着点としてふさわしい終わり方だったと思う。

自分がこの映画を観たのは先週で、もうすでに上映館が少なくなってしまっている。自己満感想ブログなりに、まだ観ていない人に観てみたいと感じてもらえたり、観た人が共感したりだとか何かしらおもしろがってくれたらいいなと思っている。そのためにはまず映画がたくさん上映されている必要があるだろうし、観たらすぐ書く癖をつけなければ・・・。